心と体の関係を考えるブログ

過敏性腸症候群(IBS)と20年向き合った経験や最近になって慢性化しかけた腰痛に苦しんだ経験を通して、心と体の関係に興味を持つようになりました。調べて学んだことや経験したことを記事にしています。

お腹が弱い歴史上の人物-ルイ14世

お腹が弱い歴史上の人物-ルイ14世

調べてみると、歴史上の人物の中にも「お腹が弱かったのではないか」と考えられている人たちがいます。これまで石田三成、徳川家康、西郷隆盛、勝海舟を取り上げましたが、今回は世界に目を向けて、ルイ14世(1638~1715)について紹介します。

 

ルイ14世はフランスの絶対王政の全盛期を築き、「太陽王」と称えられた人物です。しかし、そんな彼も、主治医に「歯が原因の病気」と診断され、歯を全部抜かれてしまったことで消化不良にいつも悩まされていたそうです。「便器に座りながら会議をしていた」という、真偽不明のエピソードもあります。

 

歯を抜かれて咀嚼が十分にできていなかったことが原因ですから、過敏性腸症候群(IBS)でお腹が弱かったわけではないと思いますが、消化不良の悩みを抱えていたとは意外ですね。

 

ルイ14世の生涯をざっくり解説

ルイ14世の生涯をざっくり解説

宰相マゼラン時代

ルイ14世はフランス国王ルイ13世の子どもです。父の死後、わずか4歳で国王になりました。ルイ14世が幼かったで、宰相のマゼランが代わりに政治を行っていました。

マゼランは重税を課したり、王に権力を集中させるために貴族の権限を奪ったりしたため、民衆と貴族の反感を買い、反乱が起こってしまい、当時10歳だったルイ14世はパリから出て逃亡生活をすることを余儀なくされました。しかし、マゼランの手腕により、王権が強化されましたので、それはルイ14世のその後の統治にプラスの影響をもたらしました。

 

ルイ14世の内政

逃亡生活を終えてフランスに戻ったルイ14世は、マゼランの死後、23歳で自ら政治を行うようになりました。「朕は国家なり」という有名な宣言をし、権力を自分に集中させるようにしました。また、「王の権力は神から授けられたもの」という「王権神授説」を主張しました。

ルイ14世は、貴族を政治から遠ざけましたが、有能な人物は身分に関係なく出世させました。例えば、商家出身のコルベールを財務長官に任命し、工業や貿易を発展させました。

少年時代にパリを追われた経験を持つ彼は、あまりパリを好きになれず、郊外のベルサイユに豪華な宮殿を建造してそこから統治を行いました。これにより、華やかな宮廷文化が栄えました。また、1666年に「王立科学アカデミー」を設立し、学者や医師、芸術家を支援することもしています。

ルイ14世は、王権神授説の立場から、「一国家一宗教」の原則を実現するために「ナントの勅令」(新教を認める法令)を廃止し、プロテスタントを弾圧しました。結果として、ユグノー(フランスの新教徒)の反乱が各地で起こったり、ユグノーが国外へ逃亡したりしました。当時、国内の商工業者はユグノーが多かったため、これにより経済力が衰えました。

 

ルイ14世の侵略戦争

ルイ14世は、4度にわたる侵略戦争も行いました。オランダやオーストリア、スペイン、イギリスなどと戦いを繰り広げましたが、全盛期でも現在のフランスとほぼ同じ面積と、さほど領土を拡大することはできませんでした。

 

ルイ14世の晩年と国力の低下

やがて、ベルサイユ宮殿建設や度重なる侵略戦争による莫大な支出により、フランスは財政難に陥りました。国力は低下し、国民の不満は高まり、ルイ14世が病死した時には、多くの人々が喜びの声を上げたと言われています。この最後の状況を見ると「太陽王」と呼ばれたことが皮肉に感じられますね。

この時代の国力の低下や国民の不満は、最終的に1789年のフランス革命とブルボン絶対王政の終焉につながりました。

 

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記事の最終更新日:2021年2月9日