心と体の関係を考えるブログ

過敏性腸症候群(IBS)と20年向き合った経験や最近になって慢性化しかけた腰痛に苦しんだ経験を通して、心と体の関係に興味を持つようになりました。調べて学んだことや経験したことを記事にしています。

お腹が弱い歴史上の人物-西郷隆盛

お腹が弱い歴史上の人物-西郷隆盛

肖像画(エドアルド・キヨッソーネ作の版画)

 

調べてみると、歴史上の人物の中にも「お腹が弱かったのではないか」と考えられている人たちがいます。その中の一人が、西郷隆盛(1827~1877年)です。

 

西郷隆盛というと、大柄で豪快で強そうなイメージがあり、お腹が弱かったとはとても思えないのですが、藩と国家の命運を背負ったストレスのためか、持病の腹痛と下痢に苦しんでいたという記録が残っているそうです。

 

「強そう」というのは僕の勝手なイメージで、西郷隆盛は力ではなく知恵を武器にしていました。事実、子供の頃に友人の喧嘩を仲裁する際に重傷を負った関係で武術を諦め、学問で身を立てることを目指すことにしたそうです。

 

西郷隆盛ほどの人物でさえ下痢に苦しんでいたという話は、過敏性腸症候群(IBS)患者たちに勇気を与えてくれるのではないでしょうか。

※もちろん、西郷隆盛が過敏性腸症候群のような症状に苦しんでいたかはわかりません。おそらく、胃腸に何らかの疾患があったと考えられます。

 

西郷隆盛の生涯をざっくり解説

 

西郷隆盛の実家は薩摩藩(現在の鹿児島県)の下級藩士でした。彼は成長すると、同じ年代の若者たちのリーダーとして知られるようになり、1864年におこった禁門の変では、薩摩軍を指揮して、幕府と対立していた長州藩(現在の山口県)を撃退し、名を上げました。

 

しかし、その後、1866年に坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結んで長州藩と仲直りし、「今の閉鎖的な考えの江戸幕府のままでは日本はダメになる」、と考え、開国・富国強兵を目指すようになり、倒幕に動き始めました。

 

西郷隆盛の薩摩藩は幕府と闘い、最終的には幕府軍の勝海舟との話し合いにより江戸城を開城させるなど、リーダー的な存在として活躍し、新政府の中でも中心的な人物となりました。

 

その後、明治政府内で、鎖国している韓国を武力で開国させようとする議論(征韓論)が起きた時に、西郷隆盛は平和的な交渉を主張しました。でも、日本国内の内政を優先させるべきだという反対派の工作によりその主張は却下されます。それをきっかけに西郷隆盛は荷物をまとめて鹿児島に帰ってしまいます。

 

旧薩摩藩の士族たちは明治政府に不満を抱いていましたので、明治政府を離れて鹿児島に帰ってきた西郷隆盛をボスとして頼りにするようになりました。そして、明治政府の挑発もあり、それら士族たちが政府との戦いに突き進む流れになった時には、彼は勝ち目がないことはわかっていつつも、士族たちのリーダーとして新政府軍と闘い(西南戦争)、敗れ、自決し、生涯を終えました。

 

記事の最終更新日:2020年12月25日